シネマコンプレックス

シネマコンプレックス

シネコンと呼ばれるシネマコンプレックスですが、神戸ハーバーランドのシネモザイクもシネコンでした。シネコンは同じ場所で、スクリーンが多数あるシアターのことを複合映画館シネマcinema complexといいます。シネコンの大きな特徴は、同じ建物や併設している施設が商業施設が一緒にあることが特徴になっています。シネコンの登場で、映像や音響という点でかなり大きな映画館の形そのものが変化しました。

いま現在、日本では約3300のスクリーンがあるといわれていますが、そのうちの約90パーセント近くがシネコンが占めています。日本で一番最初にオープンしたシネコンは1993年(平成5年)に神奈川県海老名にオープンしたワーナー・マイカルですが、このシネコンのオープンがその後映画館が増えていく原動力にもなりました。その後各地で続々とシネコンがオープンしていきましたが、時期的に商業施設の契約満了のところがでてくる時期にもきているので、今まで入っていたシネコンとは違うシネコンに変わる可能性が大きくあります。

シネコン再編到来

また、シネコンそのものも再編の時期に来ています。2003年以降に外資系シネマコンプレックスが日本から撤退していったことで、業界が大きく再編されていきました。

外資系各社が日本に攻勢をかけていた時期、ワーナー・マイカルは337スクリーンを保有していました。それに対して、東宝グループは284スクリーンとスクリーンの数で劣勢に立たされていました。この劣勢状態を打破しようと、東宝側は他社の買収を模索していたと考えれています。そして2003年(平成15年)4月4日に、野村證券の仲介によってヴァージンシネマズ・ジャパンを100億円で買収して、スクリーン数のシェアトップの座に返り咲きました。

100億円で買収されたヴァージンシネマズ・ジャパンは、それから名前を改称して『TOHOシネマズ』になりました。この買収をしてから東宝は、東宝系列の興行会社をこれ再編していきます。2006年(平成18年)10月1日には東宝直営館をTOHOシネマズに移管しました。そして続いて2008年(平成20年)3月1日に東宝東日本興行、中部東宝、東宝関西興行、九州東宝を『TOHOシネマズ』に吸収合併させていきました。

各興行会社が運営していたTOHOプレックスをはじめとするシネマコンプレックスは、改装して『TOHOシネマズ』のブランドへと変わっていきました。また、TOHOシネマズ高槻、浜大津アーカスシネマ、鯖江シネマ7という地方のサイトの一部は独立系の興行会社に事業を譲渡されました。

2004年(平成16年)4月22日にマイカルと松竹の合弁だったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表され、2004年4月30日以降、同サイトは改装しMOVIX本牧として運営されています。

まだまだ再編は続いていき、2004年9月にUCIが撤退したので、同社が保有していた分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却しました。さらに、2005年(平成17年)にはAMCエンターテインメントが撤退しました。AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズが2005年7月1日にユナイテッド・シネマに売却されました。AMCイクスピアリ16は東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドと家賃を巡って係争中でしたが、9月1日にそのオリエンタルランドに事業が譲渡されました。同サイトではデジタル3D映画システムの導入などを行って、2006年3月1日にオリエンタルランド社の直営のシネマイクスピアリとなりました。

またまたシネコン再編

2006年頃には、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化が全国的に加速していきました。この動きの中で、札幌シネマフロンティア(TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)、大阪の梅田ブルク7、なんばパークスシネマ(松竹、ティ・ジョイの共同経営)といった、日本国内の大手同士の映画会社による共同経営もみられるようになりました。ただし、横浜桜木町で計画されていた共同運営の劇場開発からTOHOシネマズが撤退する事例もあったので、完全に足並みがそろっているということではありません。

観客動員数も、シネマコンプレックスが主体となっていきました。2003年から2006年まで川崎市のチネチッタが日本で一番の年間観客動員数になりました。2007年の年間観客動員数では、MOVIXさいたまが一位となり、興行収入はTOHOシネマズ六本木ヒルズが日本一になりました。

『大規模小売店舗法』の下で、駆け込み出店が行われた影響もあったので、大規模小売店舗立地法が施行された後のしばらくの期間は、郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていきました。大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はありましたが、従来館の置き換えになっていたので、スクリーン全体が増えた点では、微増という結果でした。2000年(平成12年)に2524スクリーンだったのが2003年(平成15年)末までに2681スクリーンになっただけで、増えたスクリーン数は157スクリーンという結果でした。

『大規模小売店舗立地法』そのものが郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系になっていたこともあって、2004年以降は増加傾向に拍車がかかるようになりました。それを加速するかのように、2006年に『まちづくり3法』が改正されたので、郊外型ショッピングセンター新設に法的な抑制がかけられたこともあって、再び駆け込み出店が行われるようになりました。その結果、2006年(平成18年)には従来あったシネコンも含めると3000スクリーンを突破して、2007年(平成19年)に、3221スクリーンとなりました。このスクリーンの数は1970年頃(昭和45年)のスクリーン数とほぼ同じにまでになりました。その当時の映画人口は、2億5千万人程度ありましたが、2001年(平成13年)以降から、映画人口は1億6千万から7千万人程度になっていて、その映画人口はほぼ横這いの状態が続いているので]、飽和状態になったとも言われています。

映画を観る観客数は横ばい状態ですが、各社の出店が続いていることと、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が昔と比べて短くなってきていること、インターネットによるオンデマンド配信も増えていることといったマイナス要因があるので、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなっていきました。また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年(平成10年)頃は平均座席占有率が10.2%で経営が成り立っていましたが、2004年(平成16年)には14.7%まで上昇していきました。結果的に、興行収入からの営業利益は4.3%しか得られていない状態になりました。従来あった映画館を含めると2006年(平成18年)には3000スクリーンを突破していますが、3000スクリーンの経営を成立させるためには、1億8千万人の映画人口が必要としている試算もあります。経営を安定させる為にも、入場者の安定した確保をすると共に飲食物といった売店収入の増加などが鍵になるとされています。